公開日 2025年09月11日(Thu)
種子島高校は,その起源である熊毛郡立種子島農林学校創立以来,幾多の校名変遷を経て,平成18(2006)年に現在の校名となりました。今年は新設種子島高校創立20周年となります。
種子島高校の歴史には,大きく4つの流れがあります。すなわち,1.農林学校系でのちの種子島実業高校,2.旧制中学,旧種子島高校,3.女学校系,4.職業学校系です。
これらが,現在の新設種子島高校につながっていきます。種子島高の歴史[PDF:183KB] 参照
今回は,職業学校系をみていきたいと思います。
4.職業学校系
(1)実業補習学校 1918~1922(4年間) 北種子村立,榕城尋常高等小学校に併設
(2)農業補習学校 1923~1931(8年間) 北種子村立→1926年西之表町立。
(3)青年訓練所 1926~1929(3年間) 西之表町立
(4)西之表公民学校 1930~1934年(4年間) のち1933年西之表町立高等公民学校(町内の公民学校統一)
(5)西之表町立青年学校 1935~1948年(13年間)
(6)種子島高等学校 第四部(定時制)1947~1948年(1年間)1949年第一部(旧農林学校)と合併
校種について
実業補習学校…明治26年(1893)公布の実業補習学校規程によって設けられた,勤労青少年のための学校。実業教育と普通教育の補習を行うことを目的とした。青年学校の前身。
農業補習学校… 実業補習学校の一つ。
青年訓練所…大正15年(1926)16歳から20歳までの勤労青年男子に,軍事教育を施すために設けられた教育機関。昭和10年(1935)実業補習学校と統合されて青年学校となった。
公民学校…鹿児島県独自の青少年教育施設で,実業補習学校と青年訓練所を合併し,公民教育に重点をおくもの。
青年学校…昭和10年(1935)実業補習学校・青年訓練所を統合し全国市町村に設置された学校。小学校卒業の勤労青年に職業教育・普通教育・軍事教育を行った。昭和14年(1939)、満12歳から19歳未満の男子は義務制となり,軍事教育が中心となる。昭和22年(1947)廃止。
西之表町立青年学校(『躍進の青年学校』1941年)
昭和8(1933)年3月町内全部の農業補習学校並びに青年訓練所を統一し,西之表町立高等公民学校となし,鹿児島県農林学校に併設す。後西之表町立青年学校と改称し,現在に及ぶ。
教員組織は校長が種子島農林学校長の兼任にして,専任教諭は男2名,専任助教諭男2名女2名,講師男2名,指導員男3名,計12名
普通科,本科第一部共男女両部に分かれ,女子第二部,男子研究科を設くる故に生徒は男子602名,女子243名,合計845名でこれを18学級に編制す。(出典『躍進の青年学校』1941年)
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