公開日 2023年11月24日(Fri)
サンピアから種子島高校へ向かう途中に,嘉永山公園があります。その手前には,春に,藤の花で有名なところがあり,そばには,今回紹介する嘉永山神社跡があります。
道路脇の壁際に,おなじみの「ふるさと歴史散歩」の看板がありました。中を見ると「松畠の美坐(みざ)家主宰の嘉永山神社は,嘉永山に因む名称で,もとは六社祠といった。美坐家2代目時真(ときざね)は承応元(1652)年島内の,浦田,伊勢,八幡,住吉,熊野,宝満の六社の分霊を勧請して,屋敷の東北山林に祀り,守護神としたという」とあります。
種子島氏の居城である,赤尾木城(1624~1869)跡から見て,東北(鬼門の方向)に,嘉永山神社があります。美坐家(あるいは種子島氏)の守護神として,島内6社から分祀して,祀ったということでしょうか。
戦国大名は築城の際,鬼門封じのために,石垣の隅欠き(鶴丸城にもあります)をしたり,神社寺院などを配置したりしました。
(出典:#tanetabi 種子島観光協会サイト掲載の地図を加工した)
島内の六社は,上の地図の各神社でしょうか。神社名の並び順から,八幡神社は有名な下中八幡(真所八幡)ではなく,西之表港近く(慈遠寺跡隣)の,八幡神社でしょうか。種子島全体の神社の加護を期待したようです。
この看板の近くに細い,坂道,階段があり,上り詰めたところに,上のような祠があります。これが神社跡でしようか。
右手に,山川石(溶結凝灰岩)でできた石塔あり。正面に「奉寄進」
左側面に「安政五戊午六月十五日」(石塔建立年の,安政五年は1858年です。この年には日米修好通商条約,安政の大獄,コレラ大流行がありました)
背面には「最上孫右衛門/藤原實方拝」とあります。中央にある最上は寄進した人の名前でしょうか。左隣の藤原實(実)方(さねかた)といえば,平安中期の有名な歌人の名前ですが,石工の名前でしょうか。