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2025年7月

  • 2025年07月26日(土)

    鉄砲伝来 ~門倉岬

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     1543年鉄砲伝来。ポルトガル人を乗せた船が,種子島の門倉岬に漂着しました。

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     郷土出身の学者である西村天囚が、「鉄砲伝来紀功碑」の碑文を作成しています。

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     とてもきれいな海が広がっています。

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     空と海(手前と奥)の3種類の青が、とてもきれいです。

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     なぜか鐘があります

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     さらには神社があり、おみくじが引けます。

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     近くには上陸の地がありました。

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     長い階段を下っていくと、石碑が立っていました。

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     海の色が異なり、海岸近くはとても浅いことがわかります。現地に来て、漂着のイメージがわきました。

  • 2025年07月25日(金)

    種子島高校の歴史 ~旧種高編 その2 初代校長野口徳太郎

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    (出典:『鹿児島県立種子島高等学校創立60周年記念誌(旧種子島高校)』1987.3)

     今回は、(旧制中学)鹿児島県立種子島中学校初代校長 野口徳太郎について紹介します。野口校長は,大正15(1926)年に県立第一鹿児島中学校(現鶴丸高校)分校主任となり,分校独立後の昭和6(1931)年まで,校長職を勤めました。

     詳しくは次の年譜をご覧ください。野口徳太郎年譜[PDF:180KB]

     野口校長は,生没年が不明なため,他より推測しました。年譜によると,明治11(1878)年頃長野県に生まれました。第二高等学校(現宮城県仙台市)旧予科に入学し,予科一部へ進み,卒業後,長野中学校(旧制中学,現県立長野高校)の教諭心得(臨時教員)となって4年間勤めました。

     明治38(1905)年東京帝国大学文科大学選科(哲学科)に入学し,大正元(1912)年同本科(哲学科)に進み,同2年に卒業しました。野口校長の同期には著名人が多いです。第二高校時代には,吉野作造(大正デモクラシーでの「民本主義」主唱者),東京帝国大学選科では,岩波茂雄(岩波書店創業者),同本科では,2期上に,哲学者として有名な,九鬼周造(『「いき」の構造』),和辻哲郎(『古寺巡礼』『風土』)などです。

     その後東京の私立東京薬学校成蹊実務学校(同実業専門学校,同中学校,同高等女学校)に勤め,漢文・英語・ドイツ語・物理・化学・理科・博物・歴史・地理等幅広く授業を担当されました。

     そのあと,県立第一鹿児島中学校分校県立種子島中学校(旧制中学)の校長として赴任されました。前後5年間の勤務でした。その後は,不明な点が多く詳細が分かりません。

     次に,野口校長の同時代の関係者の言葉から,その人となりを探ってみたいと思います。

     まず県立種子島中学校(旧制中学)の第1期卒業(1931)の,井元正流初代校長野口徳太郎先生のこと」(『種子島高校創立70周年記念誌』)から。ただしこの回想は間々記憶違いがあるようです。

     先生は東京府立六中?(現東京都立新宿高校)で教職にあったが,独特の教育理念を持ち,自ら希望して来任されたという。それだけに歴史,道徳教育,礼儀作法には厳しいものがあった。反面年に数回は先生宅でご馳走を振る舞われたという。川瀬一馬『蝸牛』には成蹊学園時代の逸話が載せられている。長野の善光寺を支配した豪族の家筋で,仙台二高の時,弁論大会で中国の「仁道」について論じ,吉野作造よりも名声が高く,以来「仁道君」とあだ名されたという。

     その後後藤新平の顧問になったり,種子島中学校校長を勤めたりした。三男一女に恵まれながら先立たれ,晩年は不遇の人生だったようです。最後先生ご夫妻は故郷に戻り,亡くなられたとのことです。

    仁道

    出典:尚志会雑誌 (33) (第二高等学校尚志会, 1898-12)

    酒井信平(大正7年入学~同10年,富士銀行検査役・新日本土木常務・鈴峯開発副社長)「私を育んだ池袋の四年」(『成蹊実務学校教育の想い出』 桃蔭会 編 桃蔭会, 1981.2)

     「世俗を超越され,清貧に甘んじながらも,ご自分の道を超然と歩まれた野口徳太郎先生(漢文,英語)」 

    青葉翰於(大正7年入学)「成蹊実務学校教育の思い出」(『成蹊実務学校教育の想い出』)

     「野口徳太郎先生は文学士で漢文が本来のご担当であったが,博学の方で後に物理や化学も講義され,その頃著名になったアインシュタインの相対性原理をよく話して下さった。同級生の新見寛君は野口先生の感化で漢文を専攻し一家を成したが,惜しくも沖縄で戦死してしまった。先生は学究肌の好人物でその純粋さから感化力が強かったのだと思われる。私も少なからぬ影響を受けた一人だった」 

    川瀬一馬(大正8年入学)「大正八年以後の実務学校教育手記」(『成蹊実務学校教育の想い出』)

     「野口徳太郎先生には人生観の上で大変感化を受けた。先生は,私が自分の好きな道を歩むよう励まして下さり,お弟子の中村賢太郎先生(化学を教えて頂いた)を通じても私に何としてでも勉学を続けるようにと説得された。(中略)先生の父君が産を成さぬ方であったから家が没落して家族のため先生は随分無駄な苦労をされた様子である。仙台の二高をあともう少しと言う処で退学し,後に物理学校へ学んだりして,東大を出られた。二高在学中,弁論大会で儒教の仁道を論じ,吉野作造などより好評で,「仁道君」とあだ名されたそうである。金華山沖はその頃世界三大漁場の一と言われて暖流寒流の交わる処で,魚類の種類も頗る豊富ゆえ,ヨーロッパの著名な動物学者が網を入れに来日し,先生がその通訳に従事したら,見込まれて先生を連れて帰りたいと懇望されたそうである。それも家のために断らざるを得なかったと言う。聞くだに惜しい話である。そんなことで,先生は和漢洋に亘った蘊蓄が深く,常に精神主義に徹した話をなさった手を広げて諄々と説かれる先生の姿が今もくっきり浮かび出て来る。」

    平野 博(東亜同文書院第24・25期生)「現在のわたくし-人生独白-」(『江南春秋 : 東亜同文書院第24・25期生記念誌』 1980.3)

     「成蹊学園の立派な先生方の一人に,野口徳太郎先生がおられた。長髯を蓄えられ,一見長者然とした,また世俗を超脱した哲人風の先生であった。わたくしは野口先生から,物理と漢文の教授を受けた。当時(大正11年)はあたかもアインシュタイン博士の来日があったころで,世間ではいやが上にも相対性原理が騒がれていた時代であった。しかし実際にその理論に通じていた人は,当時はそう多くなかったのではあるまいか。まして中学生のわたくし達にとって,それはお経のお題目に等しかった。野口先生は物理の時間に,相対性原理について,中学生向きの解説を試みられたことがあり,先生はそれほどの学殖の持ち主であられた。しかし,わたくしが野口先生から,一生を通じての強い影響を受けたのは,漢文の講義の方であった。風貌が一見して漢学者に見える先生は,今から考えれば,おそらく気質として漢詩漢文がお好きで,心から打ち込んで勉強されたのであろう。その真髄を何とかして後進に伝えたい,そんなお気持ちから,ご専門でなく,趣味として身につけられた漢学を,進んで教授科目として引き受けられたのではなかろうかと推測する。先生が教室で漢詩,漢文を朗読されるときなど,ご自分の朗誦にご自身酔われる風であった。わたくしは昔の漢学塾などが,こんな雰囲気ではなかったろうかと,ひそかに思ったりした。野口先生のお陰で,わたくしは漢詩漢文が大変好きになった。(後略)」

    井元正清墓碑銘」(西之表お坊墓地井元家墓地)(下野敏見, 鮫島宗美 共編 『種子島碑文集 : 石の文化誌』 第2集 熊毛文学会, 1965)

     「(前略)士潔正清は鹿児島第一中学卒業,弟正流は種子島第一回卒業生,野口徳太郎先生は,東京都,中学よりわざわざ赴任したるにて,もっとも教育者らしき教育者なりけり。逸話多し。例えば種子島には石もなかるべしとて,つけもの石を東京より種子島にもたらし給ひけりとぞ。「大日本の南海に」(種子島中学校歌)もこの先生の作詞なり」(鮫島宗美)

     

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     右端で椅子に座っている人物が,野口校長です。出典は前掲『60周年記念誌』

  • 2025年07月24日(木)

    種子島高校の歴史 ~旧種高編 その1

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     これから種子島高校の歴史を見ていきたいと思います。種子島高校は,その起源である熊毛郡立種子島農林学校創立以来,幾多の校名変遷を経て,平成18(2006)年に現在の校名となりました。今年は新設種子島高校創立20周年となります。

     種子島高校の歴史には,大きく4つの流れがあります。すなわち,1.農林学校系でのちの種子島実業高校,2.旧制中学,旧種子島高校,3.女学校系,4.職業学校系です。
    これらが,現在の新設種子島高校につながっていきます。 種子島高の歴史[PDF:183KB] 参照

     今回は,旧制中学,旧種子島高校をみていきたいと思います。

    2.旧制中学,旧種子島高校
     (1)鹿児島県立第一鹿児島中学校分校 1926~1929(3年間) 第一鹿児島中学校(現在の鶴丸高校)の分校としてスタート

     (2)鹿児島県立種子島中学校 1929~1947(18年間) 分校独立

     (3)種子島高等学校 第二部 1948~1948(1年間) 戦後,部制により,第二部となる

     (4)鹿児島県種子島高等学校 1949~1955年(6年間) 第三部(県立種子島高等女学校)と合併 

     (5)鹿児島県立種子島高等学校(旧) 1956~2008年(52年間) 県立移管~閉校

     

     三浦安能「種子島農林学校創立沿革史」(昭和17(1942)年7月)(『種子島農林学校80周年記念誌』所集)によれば,本校創立の経緯は次のようです。
     種子島の中等教育(現在の中学校,高校段階の教育)は,明治11(1878)年10月第73郷校を廃して,鹿児島中学にならって仮中学を設立し,翌12年に仮中学公立種子島学校となる。同17年9月公立種子島学校と改称し,同23年4月より私立となった。
     明治28,29年以来,県立中学設立の機運が高まり,加納県知事に請願したが許可が得られなかった。その間川内,川辺,加治木,鹿屋に県立中学が設立されたが,熊毛郡に設立がないことを遺憾として,郡民の熱意が高まり,県当局を動かして,明治33年千頭知事が種子島中学校分校設立案を県会に提出されたが,否決された。
     その理由は,中学校が地方に散在するのは,生徒募集上,経済上不利益で,中央に集中した方が得策である。また中学の増設は高等遊民を作るもとになるので,地方にはむしろ実業教育を奨励した方が良い,ということであった。
     そのため,種子島中学分校設立案は廃され,その結果郡立種子島農林学校が生まれることになった。一方県立中学は,大正15(1926)年に実現することになる。のちの旧種子島高校です。

     

     以下『種子島高校創立60周年記念誌』『70周年記念誌』『80周年記念誌』所収の校舎,職員,生徒の写真を掲載します。

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    旧種寄宿舎2-80

    旧種寄宿舎-60

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     生徒全体写真です。

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  • 2025年07月22日(火)

    応援団練習です

     今日から、応援団の練習が始まりました。

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     はじめに自己紹介

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     総勢18名です。これから3年生を中心に、練習を進めてください。

  • 2025年07月18日(金)

    離任式 購買部の岩切さん

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     『購買部のお姉ちゃん』こと、岩切さんが今日で最後となりました。

     合併して種子島高校が誕生して20年になります。

     それより前(種子島実業高校の頃)から、ここで販売部をされていたとのことです。

     校長室で,離任式を行いました。

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     本当に多くの生徒たち、そして職員がお世話になりました。

     ありがとうございました。

  • 2025年07月18日(金)

    離任式 テッサ先生

     ALTのテッサ先生の離任式が行われました。

     テッサ先生は、2021年10月以来4年間本校で勤務されました。英語の授業や英検の指導だけでなく,様々な学校行事に参加され,職員体育や夏休みの校内清掃作業まで,積極的に参加されました。

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     長い間,本当にありがとうございました。

  • 2025年07月18日(金)

    1学期終業式です

     本校体育館で1学期終業式がありました。

     はじめに表彰式がありました。

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     県高校総体陸上競技 女子やり投げ第5位

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     県学校農業クラブ連盟九州大会県連推薦スローガン 最優秀賞

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     第72回 NHK杯全国放送コンテスト 鹿児島県予選大会 テレビドキュメント部門 優良賞

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     実用英語技能検定 2級

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     同2級

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     同2級

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    1学期クラスマッチ 男子バレー優勝、準優勝

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     女子バレー 優勝、準優勝

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     男子フットサル優勝、準優勝

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     女子フットサル優勝、準優勝

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    トランプ優勝、準優勝 

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     続いて終業式

     校長先生の式辞

     「いにしえのみちを聞いても唱えても我が行いにせずばかいなし」

     どういう意味か分かりますか。島津日新公(忠良)いろは歌の1番目の歌です。知識として知ってるだけではだめで,実践しなければ意味が無いとのことです。

     最後に諸連絡

     進路指導部から。夏休みの過ごし方について。離職率4割、その理由は条件・内容が思っていたのと違った、向いていない、人間関係だそうです。

     この夏に、自己理解、企業・大学研究、複数吟味を進めること。オープンキャンパスやボランティアなど参加するように。

     保健部から。体のメンテナンスを進めるように。夏休み中に体力落とさないように体調管理に気を付けてください。

     生徒指導部から。自己指導力を高められるようにしてください。

  • 2025年07月17日(木)

    クラスマッチ2日目です

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     昨日に引き続き、クラスマッチです。天気にも恵まれ、熱戦が繰り広げられました。

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  • 2025年07月17日(木)

    クラスマッチ1日目です

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     本校体育館、グラウンドで1学期クラスマッチがありました。

     体育館で開会式

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     グラウンドでフットサル(男子、女子)

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     武道館でトランプ(ジジ抜き)

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     体育館でバレーボール(男子、女子)

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  • 2025年07月14日(月)

    高校教育課学校訪問に際して公開授業です

     本日県教育庁高校教育課学校訪問に伴って、公開授業が行われました。

    1. 物理(電場と電位) 普通科3年1組物理選択者

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     電気科の協力のもと、「インパルス電圧発生装置」の実験を観察させていただきました。

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    2. 農業(食品製造) 生物生産科1年

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     食品の貯蔵法について学習しました。

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  • 2025年07月14日(月)

    学科朝礼です

     今朝、学科朝礼がありました。

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     普通科は体育館で、昨年度の総合的な探究の時間「観光班」による発表がありました。

     はじめに今までの活動について紹介がありました。校内の中間発表、最終発表のほか、県主催の「第5回高校生探究コンテスト」で、JTB霞ヶ関事業部特別賞を受賞し、「地方創生2.0へ 高校生によるデータを根拠にした私の町への観光計画の提言」に参加しました。

     そのあとプレゼン発表を行いました。

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     発表してくれた3年生のみなさん、おつかれさまでした。

     1,2年生のみなさんは、これから探究活動で、発表することになると思いますが、ぜひ参考にして取り組んでみてください。

  • 2025年07月11日(金)

    交通安全教室です

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     本日体育館で、交通安全教室がありました。

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     種子島警察署の方に講話をいただきました

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     はじめにDVD「防ごうバイク事故」を視聴しました

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     飲酒状態での見え方が体験できるゴーグルを付けてキャッチボール。

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     生徒にも体験してもらいました。ナイスキャッチ!?

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     そのあと、令和6年度の交通事故死者数はいくらだと思いますか。去年より13名増えて52名だそうです。

     事故の起こりやすい時間帯は? 朝の7~8時ごろだそうです。朝急いでいるためです。

     事故を起こしたときにすることは、3つあります。

     1.危険防止、2.相手の救護、3.警察への報告です。

     ヘルメット着用、特にあごひももしっかり付けること。あごひも不着用でけがが、5割あるそうです。

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     今日教わったことを大事にして、交通安全に努めましょう。

  • 2025年07月08日(火)

    デザイン講習会です

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     本日5限に「総合的な探究の時間」で、「デザイン講習会」が実施されました。

     普通科1、2年生対象です。1年生は各教室、2年生はパソコン室でありました。

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     株式会社OCHORI スタジオの方に講師をしていただきました。

     総合的な探究の時間の発表に生かしていきましょう。

  • 2025年07月08日(火)

    安納いもバイオ苗引き渡し式

    生物生産科の生徒が大切に育てた、『安納いもバイオ苗』を地域の方々にお渡しする式が行われました。

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