• 2025年08月26日(火)

    創立20周年記念事業募金趣意書について

    クラウドファンディング

    鹿児島県立種子島高等学校

    創立20周年記念事業募金趣意書

     

    同窓会長 戸川 陽平 

     

     種子島高等学校ならびに種子島を愛する皆様におかれましては、益々御健勝のこととお慶び申し上げます。

     さて、私どもの種子島高等学校は平成18年4月に(旧)種子島高等学校と種子島実業高等学校の統合により開校してから令和7年に創立20周年を迎えることとなりました。近年の後輩達も、両校の輝かしい伝統を引き継ぎ、国公立大学をはじめ難関大学への進学実績を残したり、資格取得などに励み島内外多方面へ就職を決めたりと頑張っております。また、部活動でも全国大会や九州大会出場など文武両道を実践しています。

     こうした現在活躍している母校の後輩たちへの支援を含め今回20周年を迎えるにあたって種子島高等 学校同窓会通称「黒潮会」を中心に記念行事並びに記念事業を計画致しました。出費多端の折りとは存じますが、この事業の趣旨に御理解いただき、温かい御支援御協力を賜りますよう心よりお願い申し上げます。 

     

    1.記念行事      令和7年11月8日(土) 

      (1)記念式典 (2)記念講演会 (3)記念祝賀会

    2. 記念事業

      (1)本校へ教育活動の支援(教育環境整備資金、部活動助成資金)

      (2)記念行事の資金(記念式典、記念講演会、記念祝賀会等並びにそれまでの活動資金)

      (3)クラウドファンディング

    3. 募金計画

      (1)募金目標額  100万円

      (2)募金要領   一人3千円以上としますが、金額の多少に関わらず、

    皆様のご芳情をおよせくださいますようお願い致します。

      (3)募集期間   令和7年10月末日まで

      (4)送金方法      口座振込

    ・振込口座   鹿児島銀行 種子島支店 普通 3054019

                               種子島高等学校同窓会黒潮会

    (タネガシマコウトウガツコウドウソウカイクロシオカイ)

            ※卒業生の方はお振り込み人名の前に卒業年度をお入れください。

    ※ささやかですがお礼をお送りいたしますので,振込が完了しましたらメールでお知らせ 

    ください。(メール本文にお名前・(卒業生の方のみ)卒業年度・住所を入力お願いします。)

    メール:tanekou20@gmail.com

     

    【ご注意】

    〇振込手数料につきましてはご負担をお願い致します。

    〇領収書は原則振込受領書をもって代えますが、必要な方には発行致しますのでご連絡ください。

    〇振り込め詐欺等、不審な募金活動にはくれぐれもご注意ください。

    今回使用する口座は上記記載の銀行口座のみです。

    グラファンQR黒潮会インスタ

    クラウドファンディングURL

    https://camp-fire.jp/projects/803166/preview?token=3of9s43a&utm_campaign=cp_po_share_c_msg_projects_show

    同窓会Instagram URL

    https://www.instagram.com/taneko.dousou?igsh=MWhvdWZ5bXlxZXZ1dg%3D%3D&utm_source=qr

     

  • 2025年08月26日(火)

    鉄砲まつりへの参加

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     先週日曜日の8月24日に,鉄砲まつりに参加してきました。生徒・職員・同窓会 合計61名で手踊りに参加しました。

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  • 2025年08月26日(火)

    西俣花火大会への参加

     先週土曜日8月23日に行われた西俣花火大会(現和)に,本校吹奏楽部が参加しました。例年参加しているそうです。
     吹奏楽部8名,吹奏楽部OB・OG3名,職員・職員の家族4名,種子島ウインドアンサンブル9名の合計24名で全6曲演奏しました。

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  • 2025年08月04日(月)

    体験入学

    中学生のみなさん、種子島高校へようこそ。

    それぞれの授業・体験はどうでしたか?

    普通科・生物生産科・電気科のある種子島高校に、より興味を持ってくれたら嬉しいです。

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  • 2025年07月31日(木)

    雄龍雌龍の岩

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     中種子町の星原小学校の近くに,雄龍雌龍の岩があります。

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     向かって左側が「雄龍(おたつ)」

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     右側が「雌龍(めたつ)」

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     近くに看板があり,その由来の1説が書かれています。しかし‥‥,

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     えっ! 「離島閃隊タネガシマン発祥の地」。どういうこと?

     タネガシマン公式ホームページによると,雄龍雌龍には別の由来あり。

     種子島の大地を創った雄龍、その種子島の大地に生命を育んだ雌龍,この夫婦の龍神(雄龍雌龍之神)は、「地上界に生命を育みなさい。」という(天上界を司る)天帝の命によって地上界に遣わされたという。雄龍雌龍の岩から,タネガシマンが誕生したという設定らしい。

     種子島西海岸のサンセットラインの,きれいな景色の中に,不思議スポットがあります。

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     道路挟んで真向かいに,星原小学校があります。

  • 2025年07月26日(土)

    鉄砲伝来 ~門倉岬

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     1543年鉄砲伝来。ポルトガル人を乗せた船が,種子島の門倉岬に漂着しました。

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     郷土出身の学者である西村天囚が、「鉄砲伝来紀功碑」の碑文を作成しています。

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     とてもきれいな海が広がっています。

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     空と海(手前と奥)の3種類の青が、とてもきれいです。

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     なぜか鐘があります

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     さらには神社があり、おみくじが引けます。

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     近くには上陸の地がありました。

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     長い階段を下っていくと、石碑が立っていました。

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     海の色が異なり、海岸近くはとても浅いことがわかります。現地に来て、漂着のイメージがわきました。

  • 2025年07月25日(金)

    種子島高校の歴史 ~旧種高編 その2 初代校長野口徳太郎

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    (出典:『鹿児島県立種子島高等学校創立60周年記念誌(旧種子島高校)』1987.3)

     今回は、(旧制中学)鹿児島県立種子島中学校初代校長 野口徳太郎について紹介します。野口校長は,大正15(1926)年に県立第一鹿児島中学校(現鶴丸高校)分校主任となり,分校独立後の昭和6(1931)年まで,校長職を勤めました。

     詳しくは次の年譜をご覧ください。野口徳太郎年譜[PDF:180KB]

     野口校長は,生没年が不明なため,他より推測しました。年譜によると,明治11(1878)年頃長野県に生まれました。第二高等学校(現宮城県仙台市)旧予科に入学し,予科一部へ進み,卒業後,長野中学校(旧制中学,現県立長野高校)の教諭心得(臨時教員)となって4年間勤めました。

     明治38(1905)年東京帝国大学文科大学選科(哲学科)に入学し,大正元(1912)年同本科(哲学科)に進み,同2年に卒業しました。野口校長の同期には著名人が多いです。第二高校時代には,吉野作造(大正デモクラシーでの「民本主義」主唱者),東京帝国大学選科では,岩波茂雄(岩波書店創業者),同本科では,2期上に,哲学者として有名な,九鬼周造(『「いき」の構造』),和辻哲郎(『古寺巡礼』『風土』)などです。

     その後東京の私立東京薬学校成蹊実務学校(同実業専門学校,同中学校,同高等女学校)に勤め,漢文・英語・ドイツ語・物理・化学・理科・博物・歴史・地理等幅広く授業を担当されました。

     そのあと,県立第一鹿児島中学校分校県立種子島中学校(旧制中学)の校長として赴任されました。前後5年間の勤務でした。その後は,不明な点が多く詳細が分かりません。

     次に,野口校長の同時代の関係者の言葉から,その人となりを探ってみたいと思います。

     まず県立種子島中学校(旧制中学)の第1期卒業(1931)の,井元正流初代校長野口徳太郎先生のこと」(『種子島高校創立70周年記念誌』)から。ただしこの回想は間々記憶違いがあるようです。

     先生は東京府立六中?(現東京都立新宿高校)で教職にあったが,独特の教育理念を持ち,自ら希望して来任されたという。それだけに歴史,道徳教育,礼儀作法には厳しいものがあった。反面年に数回は先生宅でご馳走を振る舞われたという。川瀬一馬『蝸牛』には成蹊学園時代の逸話が載せられている。長野の善光寺を支配した豪族の家筋で,仙台二高の時,弁論大会で中国の「仁道」について論じ,吉野作造よりも名声が高く,以来「仁道君」とあだ名されたという。

     その後後藤新平の顧問になったり,種子島中学校校長を勤めたりした。三男一女に恵まれながら先立たれ,晩年は不遇の人生だったようです。最後先生ご夫妻は故郷に戻り,亡くなられたとのことです。

    仁道

    出典:尚志会雑誌 (33) (第二高等学校尚志会, 1898-12)

    酒井信平(大正7年入学~同10年,富士銀行検査役・新日本土木常務・鈴峯開発副社長)「私を育んだ池袋の四年」(『成蹊実務学校教育の想い出』 桃蔭会 編 桃蔭会, 1981.2)

     「世俗を超越され,清貧に甘んじながらも,ご自分の道を超然と歩まれた野口徳太郎先生(漢文,英語)」 

    青葉翰於(大正7年入学)「成蹊実務学校教育の思い出」(『成蹊実務学校教育の想い出』)

     「野口徳太郎先生は文学士で漢文が本来のご担当であったが,博学の方で後に物理や化学も講義され,その頃著名になったアインシュタインの相対性原理をよく話して下さった。同級生の新見寛君は野口先生の感化で漢文を専攻し一家を成したが,惜しくも沖縄で戦死してしまった。先生は学究肌の好人物でその純粋さから感化力が強かったのだと思われる。私も少なからぬ影響を受けた一人だった」 

    川瀬一馬(大正8年入学)「大正八年以後の実務学校教育手記」(『成蹊実務学校教育の想い出』)

     「野口徳太郎先生には人生観の上で大変感化を受けた。先生は,私が自分の好きな道を歩むよう励まして下さり,お弟子の中村賢太郎先生(化学を教えて頂いた)を通じても私に何としてでも勉学を続けるようにと説得された。(中略)先生の父君が産を成さぬ方であったから家が没落して家族のため先生は随分無駄な苦労をされた様子である。仙台の二高をあともう少しと言う処で退学し,後に物理学校へ学んだりして,東大を出られた。二高在学中,弁論大会で儒教の仁道を論じ,吉野作造などより好評で,「仁道君」とあだ名されたそうである。金華山沖はその頃世界三大漁場の一と言われて暖流寒流の交わる処で,魚類の種類も頗る豊富ゆえ,ヨーロッパの著名な動物学者が網を入れに来日し,先生がその通訳に従事したら,見込まれて先生を連れて帰りたいと懇望されたそうである。それも家のために断らざるを得なかったと言う。聞くだに惜しい話である。そんなことで,先生は和漢洋に亘った蘊蓄が深く,常に精神主義に徹した話をなさった手を広げて諄々と説かれる先生の姿が今もくっきり浮かび出て来る。」

    平野 博(東亜同文書院第24・25期生)「現在のわたくし-人生独白-」(『江南春秋 : 東亜同文書院第24・25期生記念誌』 1980.3)

     「成蹊学園の立派な先生方の一人に,野口徳太郎先生がおられた。長髯を蓄えられ,一見長者然とした,また世俗を超脱した哲人風の先生であった。わたくしは野口先生から,物理と漢文の教授を受けた。当時(大正11年)はあたかもアインシュタイン博士の来日があったころで,世間ではいやが上にも相対性原理が騒がれていた時代であった。しかし実際にその理論に通じていた人は,当時はそう多くなかったのではあるまいか。まして中学生のわたくし達にとって,それはお経のお題目に等しかった。野口先生は物理の時間に,相対性原理について,中学生向きの解説を試みられたことがあり,先生はそれほどの学殖の持ち主であられた。しかし,わたくしが野口先生から,一生を通じての強い影響を受けたのは,漢文の講義の方であった。風貌が一見して漢学者に見える先生は,今から考えれば,おそらく気質として漢詩漢文がお好きで,心から打ち込んで勉強されたのであろう。その真髄を何とかして後進に伝えたい,そんなお気持ちから,ご専門でなく,趣味として身につけられた漢学を,進んで教授科目として引き受けられたのではなかろうかと推測する。先生が教室で漢詩,漢文を朗読されるときなど,ご自分の朗誦にご自身酔われる風であった。わたくしは昔の漢学塾などが,こんな雰囲気ではなかったろうかと,ひそかに思ったりした。野口先生のお陰で,わたくしは漢詩漢文が大変好きになった。(後略)」

    井元正清墓碑銘」(西之表お坊墓地井元家墓地)(下野敏見, 鮫島宗美 共編 『種子島碑文集 : 石の文化誌』 第2集 熊毛文学会, 1965)

     「(前略)士潔正清は鹿児島第一中学卒業,弟正流は種子島第一回卒業生,野口徳太郎先生は,東京都,中学よりわざわざ赴任したるにて,もっとも教育者らしき教育者なりけり。逸話多し。例えば種子島には石もなかるべしとて,つけもの石を東京より種子島にもたらし給ひけりとぞ。「大日本の南海に」(種子島中学校歌)もこの先生の作詞なり」(鮫島宗美)

     

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     右端で椅子に座っている人物が,野口校長です。出典は前掲『60周年記念誌』

  • 2025年07月24日(木)

    種子島高校の歴史 ~旧種高編 その1

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     これから種子島高校の歴史を見ていきたいと思います。種子島高校は,その起源である熊毛郡立種子島農林学校創立以来,幾多の校名変遷を経て,平成18(2006)年に現在の校名となりました。今年は新設種子島高校創立20周年となります。

     種子島高校の歴史には,大きく4つの流れがあります。すなわち,1.農林学校系でのちの種子島実業高校,2.旧制中学,旧種子島高校,3.女学校系,4.職業学校系です。
    これらが,現在の新設種子島高校につながっていきます。 種子島高の歴史[PDF:183KB] 参照

     今回は,旧制中学,旧種子島高校をみていきたいと思います。

    2.旧制中学,旧種子島高校
     (1)鹿児島県立第一鹿児島中学校分校 1926~1929(3年間) 第一鹿児島中学校(現在の鶴丸高校)の分校としてスタート

     (2)鹿児島県立種子島中学校 1929~1947(18年間) 分校独立

     (3)種子島高等学校 第二部 1948~1948(1年間) 戦後,部制により,第二部となる

     (4)鹿児島県種子島高等学校 1949~1955年(6年間) 第三部(県立種子島高等女学校)と合併 

     (5)鹿児島県立種子島高等学校(旧) 1956~2008年(52年間) 県立移管~閉校

     

     三浦安能「種子島農林学校創立沿革史」(昭和17(1942)年7月)(『種子島農林学校80周年記念誌』所集)によれば,本校創立の経緯は次のようです。
     種子島の中等教育(現在の中学校,高校段階の教育)は,明治11(1878)年10月第73郷校を廃して,鹿児島中学にならって仮中学を設立し,翌12年に仮中学公立種子島学校となる。同17年9月公立種子島学校と改称し,同23年4月より私立となった。
     明治28,29年以来,県立中学設立の機運が高まり,加納県知事に請願したが許可が得られなかった。その間川内,川辺,加治木,鹿屋に県立中学が設立されたが,熊毛郡に設立がないことを遺憾として,郡民の熱意が高まり,県当局を動かして,明治33年千頭知事が種子島中学校分校設立案を県会に提出されたが,否決された。
     その理由は,中学校が地方に散在するのは,生徒募集上,経済上不利益で,中央に集中した方が得策である。また中学の増設は高等遊民を作るもとになるので,地方にはむしろ実業教育を奨励した方が良い,ということであった。
     そのため,種子島中学分校設立案は廃され,その結果郡立種子島農林学校が生まれることになった。一方県立中学は,大正15(1926)年に実現することになる。のちの旧種子島高校です。

     

     以下『種子島高校創立60周年記念誌』『70周年記念誌』『80周年記念誌』所収の校舎,職員,生徒の写真を掲載します。

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    種中正門-60

    旧種校門2-80

    旧種校舎-70

    種中玄関-60

    旧種校舎2-80

    旧種寄宿舎2-80

    旧種寄宿舎-60

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     生徒全体写真です。

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    旧種全体写真5-80

    旧種全体写真-60

     

     

     

     

  • 2025年07月22日(火)

    応援団練習です

     今日から、応援団の練習が始まりました。

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     はじめに自己紹介

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     総勢18名です。これから3年生を中心に、練習を進めてください。

  • 2025年07月18日(金)

    離任式 購買部の岩切さん

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     『購買部のお姉ちゃん』こと、岩切さんが今日で最後となりました。

     合併して種子島高校が誕生して20年になります。

     それより前(種子島実業高校の頃)から、ここで販売部をされていたとのことです。

     校長室で,離任式を行いました。

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     本当に多くの生徒たち、そして職員がお世話になりました。

     ありがとうございました。