種子島高校の歴史 ~旧種高編 その1

公開日 2025年07月24日(Thu)

tanekopic

 これから種子島高校の歴史を見ていきたいと思います。種子島高校は,その起源である熊毛郡立種子島農林学校創立以来,幾多の校名変遷を経て,平成18(2006)年に現在の校名となりました。今年は新設種子島高校創立20周年となります。

 種子島高校の歴史には,大きく4つの流れがあります。すなわち,1.農林学校系でのちの種子島実業高校,2.旧制中学,旧種子島高校,3.女学校系,4.職業学校系です。
これらが,現在の新設種子島高校につながっていきます。 種子島高の歴史[PDF:183KB] 参照

 今回は,旧制中学,旧種子島高校をみていきたいと思います。

2.旧制中学,旧種子島高校
 (1)鹿児島県立第一鹿児島中学校分校 1926~1929(3年間) 第一鹿児島中学校(現在の鶴丸高校)の分校としてスタート

 (2)鹿児島県立種子島中学校 1929~1947(18年間) 分校独立

 (3)種子島高等学校 第二部 1948~1948(1年間) 戦後,部制により,第二部となる

 (4)鹿児島県種子島高等学校 1949~1955年(6年間) 第三部(県立種子島高等女学校)と合併 

 (5)鹿児島県立種子島高等学校(旧) 1956~2008年(52年間) 県立移管~閉校

 

 三浦安能「種子島農林学校創立沿革史」(昭和17(1942)年7月)(『種子島農林学校80周年記念誌』所集)によれば,本校創立の経緯は次のようです。
 種子島の中等教育(現在の中学校,高校段階の教育)は,明治11(1878)年10月第73郷校を廃して,鹿児島中学にならって仮中学を設立し,翌12年に仮中学公立種子島学校となる。同17年9月公立種子島学校と改称し,同23年4月より私立となった。
 明治28,29年以来,県立中学設立の機運が高まり,加納県知事に請願したが許可が得られなかった。その間川内,川辺,加治木,鹿屋に県立中学が設立されたが,熊毛郡に設立がないことを遺憾として,郡民の熱意が高まり,県当局を動かして,明治33年千頭知事が種子島中学校分校設立案を県会に提出されたが,否決された。
 その理由は,中学校が地方に散在するのは,生徒募集上,経済上不利益で,中央に集中した方が得策である。また中学の増設は高等遊民を作るもとになるので,地方にはむしろ実業教育を奨励した方が良い,ということであった。
 そのため,種子島中学分校設立案は廃され,その結果郡立種子島農林学校が生まれることになった。一方県立中学は,大正15(1926)年に実現することになる。のちの旧種子島高校です。

 

 以下『種子島高校創立60周年記念誌』『70周年記念誌』『80周年記念誌』所収の校舎,職員,生徒の写真を掲載します。

旧種正門-70

種中正門-60

旧種校門2-80

旧種校舎-70

種中玄関-60

旧種校舎2-80

旧種寄宿舎2-80

旧種寄宿舎-60

旧種恩師-60

旧種職員-80

旧種全体写真-60

 生徒全体写真です。

旧種全体写真2-70

旧種全体写真3-70

旧種全体写真4

旧種全体写真5-80

旧種全体写真-60

 

 

 

 

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