• 2024年03月28日(木)

    大岡先生,宮原先生 出発

    13:45発の「わかさ」で大岡先生が,14:15発のトッピーで宮原先生が出発されました。

    お世話になりました。ありがとうございました。

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  • 2024年03月28日(木)

    鶴田先生 出発

    12:15発の飛行機で、鶴田先生が出発されました。

    お世話になりました。ありがとうございました。

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  • 2024年03月27日(水)

    小脇先生,永田先生,藏屋先生出発です

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     13時45分,西之表港で,わかさフェリーで3人の先生が出発しました。

     30分前の,13時15分に出発式が行われました。

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     まず教科の先生から,贈る言葉。生物生産科。

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     離任される先生方から,お返しの言葉。

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     続いて,理科

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     最後に,数学科 

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     続いて,生徒代表で,弓道部の生徒から,エールを送ります。

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     最後に,全員で記念写真。

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     最後の別れを惜しみます。

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     本日はとても晴天で,風も強くなく,良い日和でした。港は見送りの方々で,大盛況でした。

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     新天地でも,頑張ってください。

  • 2024年03月27日(水)

    久木山先生・下野先生 出発

    久木山先生・下野先生が,10:30発の共同フェリーで出発されました。

    お世話になりました。

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  • 2024年03月25日(月)

    終業式,離任式です

     本日体育館で,終業式,離任式がありました。

     はじめに表彰式,終業式

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     校長先生の講話

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     進路指導部から

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     保健部から

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     生徒指導部から

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     情報係から

     次いで,離任式

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     校長先生より,離任される先生方の紹介

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     田淵教頭先生

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     松村事務長

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     数学 藏屋先生

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     理科 永田先生

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     保健体育科 吉浦先生(吉は,土に口)

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     養護教諭 大岡先生

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     芸術(音楽) 宮原先生

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     家庭科 久木山先生

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     農業 小脇先生

     農業 篠原先生(本日欠席)

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     工業 鶴田先生 

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     工業 下野先生

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     工業 大町先生

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     生徒代表 お礼の言葉

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     花束贈呈

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     離任される先生方を,花道を作って,送り出します。

     本当に先生方,ありがとうございました。先生方のご健康,ご多幸,今後のご活躍を祈念致します。

     

     

  • 2024年03月22日(金)

    令和6年度 定期人事異動です。

    R6種高異動

  • 2024年03月22日(金)

    クラスマッチです!!

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     本日1日,西之表市体育館で,クラスマッチでした。

     午前の部,生徒会を中心に運営されました。

    はじめ開会式

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     生徒会による進行です

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     教頭先生あいさつ

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     生徒会長あいさつ

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     競技上の注意

     種目は,ステージ側からバスケ男女,男子バレー,女子バレー,2階席でオセロです。

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  • 2024年03月19日(火)

    令和5年度 受験体験発表会です!!

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     本日、体育館で、普通科受験体験発表会がありました。

     目的は、今年度の進学状況を、卒業生から聞くことで、受験の厳しさを理解させ、早期に受験への準備をスタートし、学習に取り組む姿勢を確立させる、です。

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     先日卒業したばかりの、卒業生たちが、後輩のために、来ていただきました。皆さんスーツを着て、かっこいいですね。

     普通科1,2年生たちは、メモを取りながら、先輩たちの話を聞きました。

     就職・進学先は、西之表市役所、鹿児島大学、香川大学、北九州市立大学、鹿児島県立短期大学です。

     進路指導部の先生から質問して、卒業生たちがそれに答える形で行いました。

     Q1 進路先をいつごろ決めたか?

     Q2 いつから、受験を意識し始めたか?

     A  部活を引退してから

     Q3 自宅学習の時間はどのくらいか?

     A  引退前は、平日2~3時間、休日4~5時間、引退後は、平日4~5時間、休日8~10時間

     Q4 もし1年前に戻れるとしたら、自分にどうアドバイスするか?

     A  早く小論文に取り掛かる。受験をなめるな! バランスよく勉強する。課題をきちんとする。3年4月模試を面倒くさいものと考えていたが、2年後半からしっかり取り組む。ニュースなど知っておく必要あり。知識を蓄える。

     Q5 推薦、総合型選抜について、アドバイスを

     A  共通テスト+小論文形式の試験では、同時並行は大変。できるだけ早く推薦の準備をする。同時にやり抜く強い気持ちが必要。

     A  講義型試験では、毎日動画を見て、要約して、自分の意見を書く練習をした。

       夏休みから、新聞要約は30本はした。過去問は90分時間を測って20本以上は書いた。 

     Q6  受験当日、心がけてほしいことは?

     A  自分に自信を持つ。とにかく落ち着く。一日一善、1日1回何か良いことをする。運を付けるようにした。終わったあとは、落ちたつもりで勉強する。 

     Q7 合格したのは、ずばり何が理由か?

     A  筆記試験、面接練習。日頃の行いに気を付けた。英語がずっと苦手だったが、早めに苦手をつぶせた。自分に期待しすぎない。いろんな行事に積極的に取り組む。たくさん持っていると、面接のときに、アピールポイントになる。

     先輩方の、実体験に基づいた、貴重なお話でしたね。さあ、自分たちの番です。2年生は1年を切っています。今日いただいたアドバイスをいかしていきましょう。

  • 2024年03月19日(火)

    種子島高校の歴史 その2 種子島農林学校初代校長町井正路について

     種子島高校の歴史 その2 種子島農林学校初代校長町井正路(まちい・まさみち)について

     種子島高校の歴史には,大きく4つの流れがあります。すなわち,1.農林学校系でのちの種子島実業高校,2.旧制中学,旧種子島高校,3.女学校系,4.職業学校系です。
    これらが,現在の新設種子島高校につながっていきます。種子島高の歴史[PDF:183KB]参照

     まずは,そのうち,農林学校系をみていきたいと思います。

    1.農林学校,種子島実業高校
     (1)農林学校以前 1873~1903(30年間)
     (2)種子島農林学校 1904~1945(41年間) 乙種(修業年限2年制)
     中目時代1904~05,城時代1905~36年,上之原時代1937年~
     甲種(修業年限3年制)に移行1940年~
     (3)戦後~ 1946~1958(12年間)
     (4)種子島実業高校 1959~2008年(49年間)

     中でも, (2)の農林学校時代を見ると,学校所在地により,中目時代(現榕城小学校辺り),城時代(現プラッセだいわ辺り?),上之原時代(現種子島高校所在地)に区分されます。

     三浦安能「種子島農林学校創立沿革史」(昭和17(1942)年7月)(『80周年記念誌』所集)によれば,本校創立の経緯は次のようです。
     種子島の中等教育(現在の中学校,高校段階の教育)は,明治11(1878)年10月第73郷校を廃して,鹿児島中学にならって仮中学を設立し,翌12年に仮中学公立種子島学校となる。同17年9月公立種子島学校と改称し,同23年4月より私立となった。
     明治28,29年以来,県立中学設立の機運が高まり,加納県知事に請願したが許可が得られなかった。その間川内,川辺,加治木,鹿屋に県立中学が設立されたが,熊毛郡に設立がないことを遺憾として,郡民の熱意が高まり,県当局を動かして,明治33年千頭知事が種子島中学校分校設立案を県会に提出されたが,否決された。
     その理由は,中学校が地方に散在するのは,生徒募集上,経済上不利益で,中央に集中した方が得策である。また中学の増設は高等遊民を作るもとになるので,地方にはむしろ実業教育を奨励した方が良い,ということである。
     そのため,種子島中学分校設立案は廃され,その結果郡立種子島農林学校が生まれることになった。なお県立中学は,大正15(1926)年に実現することになる。のちの旧種子島高校である。

     下は,明治38(1905)年3月の第1回卒業生の写真(『鹿児島県立鹿児島実業高等学校創立九十周年記念誌』所集,以下,90周年記念誌)です。

    1町井90周年

     「学校日誌 明治38~40年」(80周年記念誌所集)によれば,この時の卒業生は26名で,最前列中央5名が当時の職員である。すなわち町井正路校長兼教諭(最前列中央で,足を組んでいる),教諭今村義篤,助教諭鳥越源左衛門,雇園原咲哉,助教諭兼書記最上鹿之助の5名です。
     熊毛郡立種子島農林学校初代校長である,町井校長はとても若く,当時27歳です。右から2番目の和装の人物が,最年長の最上鹿之助だろうと思われるが,残り3名は不詳です。
    このうち最も事績が知られるのは,町井校長なので以下見ていきたい。

     町井正路年譜

    No. 年月日 事 績 出 典
    1 明治11(1878)年
    1月20日
    0 町井勝太郎の長男として,花輪谷地田町(現秋田県鹿角市)に出生 鹿角人物辞典(2020年)
    2 明治18(1885)年 7 父勝太郎が職を,鉱山測量から鉄道測量に転じ,一家を挙げて上京 松木博2008※
    3 明治29(1896)年 18 東京府尋常中学校(現都立日比谷高校)卒業 松木博2008
    4 明治29(1896)年 18 札幌農学校入学 松木博2008
    5 明治30(1897)年
    7月7日
    19 札幌農学校予科卒業 第11期 官報
    6 明治34(1901)年
    7月9日
    23 札幌農学校本科卒業 第19期 農事雑報37
    7 明治34(1901)年
    10月3日
    23 中学校教員免許(博物(植物))取得 免許台帳抄
    8 明治35(1902)年
    4月1日
    24 山形県立村山農学校教諭に任命される(もと茨城県立下妻中学校教諭)。病気療養のため,同4月30日辞任 教育界1(7)
    興農雑誌94
    官報
    9 明治35~36年 25 工芸作物等について各種論文を発表 興農雑誌 
    10 明治37(1904)年
    3月15日
    26 養畜教科書』(興文社)著す 同書
    11 明治37(1904)年 26 熊毛郡立種子島農林学校(1904.4.1開校) 教授嘱託(手当年800)学校長心得に任命 職員録 明治37年(乙)
    12 明治37(1904)年
    9月12日
    26 熊毛郡立種子島農林学校校長兼教諭に任命,11級俸下賜される 官報
    13 明治39(1906)年
    2月19日
    28 校長兼教諭を辞任(在勤約1年半)。明治38年中度々欠勤あり 学校日誌
    教育界5(6)
    14 明治39(1906)年
    11月20日
    28 実地応用常食用作物栽培法』(耕牧園)著す 同書
    15 明治42(1909)年
    7月24日
    31 実用工芸作物栽培法』(日本種苗出版部)著す 同書
    16 明治44(1911)年 33 この頃,東京硫安株式会社(肥料会社)の取締役,同10月24日辞任 日本全国諸会社役員録,官報
    17 大正元(1912)年
    7月15日
    34 ファウスト』(ドイツ人ゲーテ作,町井翻訳,本邦初)著す 同書
    18 大正10(1921)年 43 ふらんすの女』(青柳有美作,町井翻訳,上方屋出版部)著す 同書
    19 大正11(1922)年
    9月15日
    44 都市計画と汚物処理』(町井式都市汚物処理試験場事務所)著す 同書
    20 大正12(1923)年
    1月6日
    45 都市計画と汚物処理再版(町井事務所出版部)著す 同書
    21 昭和21(1946)年 68 死去,享年68歳 鹿角人物辞典

     上表により,町井校長は,秋田県生まれ,父転職により東京移住,札幌農学校へ入学。卒業後農学校等の教諭を経て,熊毛郡立種子島農林学校校長に就任するも,わずか1年半で辞任。その後は各種農業専門書を多数執筆したり,肥料会社に勤務しました。中でも注目すべきは,ドイツの文豪ゲーテの代表作『ファウスト』を翻訳したことです。

     その間の事情は,日本近代文学の研究者である,大妻女子大学短期大学部国文科教授松木博氏の論文「森鷗外と町井正路 二つの「ファウスト」、その翻訳と受容」(大妻国文 (39),2008.3)に詳しい。通常『ファウスト』の翻訳は,森鷗外訳が完全訳としては本邦初で,決定版とされるが,実は半年前に,町井校長が自費出版の形で出版しており,しかも極めて異例なことに,お互いの存在を意識しつつ出版されたという。
     彼は,札幌農学校時代に,新渡戸稲造の講義を聴いて,『ファウスト』翻訳を志したとされ,文学の専門外の自分だが,原文でゲーテの「ファウスト」を読むときの参考書になればとして,翻訳したという。彼とドイツ文学との関わりは不明だが,新渡戸が農政学でドイツ留学をしているので,ドイツとの関わりがあり,翻訳に繫がったのだろう。
     また種子島との関わりも全く不明で,札幌農学校時代の同期に,有島武郎(白樺派の小説家,元薩摩藩士有島武の長男,札幌農学校教師)があり,その縁もあったかもしれません。
     町井『ファウスト』自序に,「~学校(札幌農学校)を卒へて,一時某々の学校に教鞭を執り,次で某々専門校(種子島農林学校か)の主理者(校長か)に任ぜられた~」と書かれてあり,種子島農林学校校長勤務を示唆しています。

     彼の周辺には,森鷗外,新渡戸稲造,有島武郎などがあり,近代史上の有名人と関わりがあったことが分かります。

    町井44才

    大正11(1922)年9月(44才)
    『都市計画と汚物処理』所集の著者近影

  • 2024年03月16日(土)

    宮原真紀先生のソプラノリサイタル

    宮原真紀先生(音楽科)のソプラノリサイタルが西之表市民会館で開催されました。

    〜春の歌を あなたに〜と題され、日本古謡から始まり、オペラ、ひとり歌芝居と、宮原先生の様々な魅力の詰まった、あっという間の、圧巻の、2時間でした。

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